2009年4月9日木曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
日本は「失われた十年」と言われた。北海道は「失われた三十年」となるのであろうか。「北海道からは相撲の横綱はたくさん出ていますが、政治の横綱はまだ出ていない。この町村君・・・・」一郎記念館の古いビデオにあった一説。おじさんが自民党総裁選挙に出てから未だに総理総裁が誕生していません。おじさんの死が時の流れに流されてしまったとしても、未だに総理大臣が出ていない事は変らない。おじさんの死後、「雨後の竹の子」のように誕生した政治家たち。既にスター「ダスト」もいれば「ブレイク」を拒み続けているかのような人たちもいる。おじさんを排除した時の「志」や「気力」を持ち続けているのであろうか。これから数年で答えは出てしまうであろう。私の人生とは関係無く・・・。終り
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
今日また両親が私の過去を否定した。だからもう止めようと思う。何時かきっとここから書くことに母は答えてくれる事を期待して・・・。
母が私に言った事「信司を可愛がってくれる親族だけ面倒みてやると言われていた」これは私が中学入学前、両親が離婚するしないでもめていた時(ちょうど父の妹の娘ケイコちやんが札幌に来ていて父が他の従兄弟と車で遊びに行った日)に不貞寝する母の隣で聞いた。その後二人で私の学生服を買いに行った。
母が私に言った事「お金使っていい?」「誰の金?」「信司の・・・」「お金あるの?いまさら言われてもな」「いいよ、ただ僕が必要な時にはお金出してね。起業したいから。」大学入学後、今住んでいる家を建てる前(最中?)に。
「信司、養子に出しておけばよかったね」母が茶の間で父に言っているのを自分の部屋で聞いた。今、聞いても知らぬ存ぜぬだ。が、事実なんだよな。確か、高橋秀樹さんが札幌雪祭りで囲まれた事は新聞にも載っていたと思うんだけど・・・。知らぬ存ぜぬだろうな。「ああそうかハハハ」と笑ったとたんに「ヤバイ失礼します」って帰って行った。私の過去は今のままではファンタジーなのかもしれない。もうちょっとつづく
2009年4月6日月曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
ちなみに、佐藤静雄は中川一郎の子分でした。広尾の一郎記念館で佐藤静雄の集会で応援する中川一郎先生をビデオで見ることが出来る。私の両親は何を考えているのだろうか?創価学会に寄付の約束でもしているのであろうか。入信するのは勝手だが・・・。私にはまったく関わりのないことなので、今まではともかくこれからは其の件に関して迷惑を掛けないようにして欲しい。しかし、何故。もしそうであるのなら、非常に悲しいことである。つづく
2009年4月4日土曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
「殺したい」ほどの「恨み」そして「水に流す」。「おじさん嫌いだろ?」と父が電話してきた時「そんなことないよ、あのおじさん何時もニコニコしてるんだよ。でもさ、何か悪い事してるみたいで、気が付かないで通り過ぎちゃう事があるんだ。おじさんに言っといてくれないかな。用事があるときは自分から声かけてって」父は「わかった、わかった」と言って電話を切った。父とあのおじさんの話をしたのはこの電話だけだ。私が「中川一郎、知ってるしょ」と言うと「知らない」「会った事ない」と切れ気味に答える。「佐藤静雄の会」入っていたのだから「知らない」はあり得ないのに・・・。つづく
2009年4月3日金曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
「水に流す」そんな意味を込めるのだろうか。おじさんも父の母もお風呂で死んでいたらしい。「水に流す」がその意味ならば恐らくは誰かに何か「恨み」を抱かれたのであろう。それでは「誰にどんな恨み」をと考えるが・・・。つづく
2009年4月2日木曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
「僕こんなに食べれないよ」出てきた大きなお皿に山盛りのチャーハン。ビックリする僕を他のテーブルのお客さんたちが笑っていた。初めて行ったパークホテルの中華料理。笑われている事に私が気が付くとそのテーブルのお客さんたちは席を離れて行った。両親が会釈していたので知っていたのであろう。そう、パークホテルを定宿としていた人。そう、新聞で読んだが石原プロもパークホテルとは浅からぬ縁があるらしい。先日、茨城からの帰りに一泊した。部屋が随分ゆったりとていた気がする。部屋番号が606号(前から読んでもムネオ後ろから読んでもムネオ)だったのは奇遇であろうか。帰りにホテルの中華料理屋でチャーハンを注文したが、ちゃんと一人前しか出てこなかった。昔と店と味が同じかどうかは解らないけれど、たまにホテルでチャーハンも良いもんだと感じたのであった。つづく
2009年4月1日水曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
「お前なんか従兄弟じゃない」と言われた。まったく疑いなく従兄弟だと思っていたしそれからも従兄弟だと思ってきた。もしかすると従兄弟ではなかったのかもしれない。お祖母ちゃんと三歳くらいまで会っていなかった気がする。「マミコ」のおじいちゃまに会った時に「あなたお爺ちゃんとお祖母ちゃんいないの?」と聞かれた。確か、北見のお爺ちゃん以外会ったことなかったはずだ。猫可愛がりの従兄弟がいたことも納得だ。もしかすると私とお祖母ちゃんは血がつながっていなかったのかもしれないから。そうだとすると、父の両親は偉かったのかもしれない。多少の区別はあったとしてもある程度相手をしてくれた。が、私だけ呼び捨てであった。つづく
2009年3月27日金曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
「マンガ君」の意味は「漫画は面白いから」。「面白い子」を「マンガ君」と呼んでいたようだ。私はそう聞いた。相手は家族で政治家なので気を付けなければならない話ではあるのだけれども。実は私もそう呼ばれた。正確にはそんな記憶がある。そう呼んだのは髪の黒くない(記憶が曖昧)おじさん。テレビや映画に出ていると言っていた。「マンガ君って誰?僕は谷口信司だよ」に説明したのは当時はまだ美人だったおばさん。理由が理由だから「マンガ君」が何人いても良いのだけれど・・・。断って置きたい。悪意はまったく無い。つづく
2009年3月26日木曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
骨肉の争いとか言われていましたが、秘書と息子たちはお互い政治家になれたのだから争いはないのかもしれない。双方に共通して邪魔なのは私だけなのかも・・・。特別両方に可愛がられた記憶はまったく無い。が、嫌がらせのように親族と同じクラスされたりした事はある。当時、私は気にしていなかった(気付いていなかった)けれど。よく考えると常に見張られていたようなもんだ。実際、豊田自動織機に行っても渦元。トヨタ自動車に行っても中川。渦元は小学生の頃、中川は高校生の時に一度づつ会った事がある。町村さん(内務省)じゃないんだからね。仕事はともかく、人間は嫌らしい。政治家が生きていても今の自分が自分なのだろうか。つづく
2009年3月25日水曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
仮に生まれた男の子が政治家の子だったら、それでも邪魔か。結果的に秘書も息子も政治家になった。政治家の意思とは関係なしに。既に秘書も息子も十分に偉い。何を望んでいるのか。思うに、もしかすると「遺書」があったのではないだろうか。私は政治家にある「意思」があった事は知っている。「遺書」があっても不思議ではない。その根拠は、喪服で学校帰りの私を取り囲んだ人達なら知っている。そう考えていくと、自分の置かれた状況にも納得がいくんだけれども・・・。つづく
2009年3月24日火曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
仮に、秘書はどうしても政治家になりたかった。政治家はもう一人男の子が欲しかった。政治家の妻はどうしても息子に政治家を継がせたかった。政治家は自分の後を継がせる男の子をつくらなければならなかった。秘書はそれを手助けすることを装い、妻と息子たちを排除して自分が後を継ぐ事を考える。政治家はとある女、貧乏な既婚者に産んでもらう事を考える。もちろん、他の女性にも生んでもらう。既婚者の女性が産んだ子が男の子だとしても、夫の子か政治家の子か解らない。他の女性達は秘書が用意した女性達、たとえ男の子を産んだとしても秘書が操れるもしくは面倒を見れる。めでたく、既婚女性が男の子を産んだ。他の女性達は女の子だった。男の子が政治家の子でなかったら・・・。秘書が早めに政治家を消してしまえば後を継ぐのは・・・・。そして運良く成長できた男の子は、誰もが邪魔か。つづく
2009年3月21日土曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
人生が芝居であるなら、人はみな役者。だとすると演技や創り話も真実になるのかもしれない。神話の類はみなそうなのかな。個人的には「嘘はばれる」が心情ではあるが・・・。かつての国民的大スターだって多かれ少なかれ人生を演じていた事を私は知っている。しかし彼の場合、私が知る限り脚本家も脇の役者もすべてが一流であった事を書いておこう。今同じようにもう一度あんな大スターをどんな分野であれ創り出そうとしても不可能であって欲しい。実際はいるのかも知れないけれど。私はそんな大掛かりな仕組みでスターを創り出さなくともスターはスターとして現れると信じている。それはつまらない事なのだろうか。私は似非スターを創り出すことは社会を良くはしないと思う。過去は過去として受け入れてもらいたいものであるが、どうか。つづく
2009年3月20日金曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
私はウンコたれである。言い訳は特にしない。学生の頃、酒飲んで気が付いたらウンコまみれになっていたこともある。ちょうどその頃から、酒量が増した。ヘルパー二級を受講して学んだ事に「排泄」がある。人は誰でも「排泄」には「羞恥心」を感じる。「排泄」を自立して出来なくなると人間としての「自信」を無くしていくらしい。私のケースがそうであったかどうかはともかく「マインドコントロール」に「ウンコたれ」は機能すると気付いた。そう、迷い悩みながらも何かこう「自信」を持って生きてきた私。それはおじさんや町村(爺)さんのような一流政治家、まみこの「おじいちゃま」のような超一流の経済人、石原さんや高橋さんのような超一流芸能人、星野さんや橋本さんような超一流のスポーツ選手たちに小さな頃から会わせてもらった事により育まれたものであったと思う。一度忘れてしまった特性ではあるが、ウンコたれを超えてもう一度とりもどそう。知多四国八十八箇所めぐりを回想しながら更に過去に思いを向けるのであった。つづく
2009年3月18日水曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
取りあえず、私が誰の子かを問題とはしない。私は「おじさん」の秘書から「おじさん」の前でスカウトされた。「政治家はどうだい?」と。その前に「将来何になりたいんだい?」と聞かれて「医者」と答えて「おじさん」と秘書を動揺させてしまった。これが恐らくは悲劇の始まりだったのではないだろうか。要するに私が「おじさん」の政治家としてのある種のモチベーションを保ち、かつ上昇志向に油を注いだ。それを面白く思わない、上昇志向の必要以上に高い連中は「おじさん」の排除を考えた。その一歩が「総裁選」。「おじさん」は家庭内に問題を抱えていた。まあ、私に入れ込むくらいだから・・・。ある種の連中には条件が整った。先日、拉致被害者の家族が元死刑囚に面会した。彼の名前は「耕一郎」。なんとなく「おじさん」が関係したのかな、と感じた。私の仮説はこうだ。おじさんはお金が必要だった。お金を集めるのは秘書。秘書は何処からともなく「拉致」と係るが、お金になる話を持って来た。「おじさん」は便宜を図ってしまった。これが「おじさん」のアキレス腱となる。その先にあったのが「死」だったのではないだろうか。そんな気がして・・・。つづく
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
昔の写真の中に私の赤ちゃんの頃の写真がある。そしてとても不思議に感じた。貧乏なのに同じ写真が二枚。しかも写真館で撮った写真がである。他の写真屋が撮った写真は一枚づつなのに。私に戻った記憶が真実であったのなら、養子縁組ように私の写真を大量に配ったのかもしれない。私の記憶の中の私に会いに来た人達はみな、市営団地に住んでいるような人達ではなかった。記憶にある人達だけではあるが・・・。誰が写真を撮らせて配ったのか。何故同じ頃テレビに出たのか、そして何故大量のおもちゃが集まったのか。もしかしたら、私は・・・。つづく
2009年3月17日火曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
キラキラ輝く海を見ながら歩くのは気持ちの良いもので、日差しが違う為か北海道の海より数段キラキラしていたように思う。北海道は自然が豊かだと言われているが、改めてただ「質」が違うだけで何処にも美しい自然があるのだなあと感じたのであった。ただ、あの穏やかで美しい海を何隻もの巨大な自動車運搬が行き来する光景はなんとも誇らしいと言えば良いのかなんだかなあと思う。それはそれで美しいのだけれども・・・。寺の良し悪しはあるのかもしれませんが、歴史を感じさせてくれる寺はやはり良い物だと思う。北海道には無い時間と空間、その連続だった。ただ、一つ特に心に引っかかった寺は「昔より 主を討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」の尾張国知多郡野間(愛知県美浜町)の大御堂寺(野間大坊、平安時代末に源義朝が暗殺された場所)-Wikiより。私の羽柴筑前は誰なのだろうと考えるのであった。つづく
2009年3月16日月曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
工場は完全に週休二日制でした。ソフトボールを見に行ったり、ラクビーを見に行ったり、野球を見に行ったり出来た。お金をある程度貯めたかったので、何が出来るかを考えた。ふと、駅で「知多四国八十八箇所めぐり」のパンフレットを見つけた。何かこう感じるところがあった。そうビビビットではないが何か、歩いてみようと思った。結局、総てまわり切るのに一年かけた。知多半島を一周歩けたと思う。歩いた事、景色、達成感、ビール、とても楽しかった。しかし、とても辛くもあった。寺から寺へ、手を合わせに歩きながら色々な事を考えそして悩んだ。そして多くの忘れていた記憶が蘇って来たのであった。つづく
2009年3月13日金曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
今韓国領事館かな?ちょっと前まで目の不自由な人達の施設が昔の札幌市中央図書館の隣にあった。たぶんそのためだと思うがとある「眼科医」と昔何度か図書館ですれ違った記憶がある。仮りに「ピッグ」としよう(目つきが特に「ピッグ」)。「ピッグ」には二匹の「子ピッグ」がいた。その後増えたかどうかは不明である。ピッグが眼科医であったことも何故図書館にいたのかも知るのは随分後の事である。振り返ってみると「なるほどな」という話。私は中学校で「子ピッグ」と同級生であった。で、その「子ピッグ」を仮に「子ピッグ1」としよう。正直、私はこの「子ピッグ1」が好きであった。まあ、どうでもよいのだけれど。ここで特別に取り上げたいのは「子ピッグ2」である。「子ピッグ2」は学校祭にやって来た。私の周りをスキップしているはんかくさい女の子がいた。そこには私の陵北中学校にいた少年野球チームのチームメートもいたので「これ誰?」と聞いた。「そうまの妹」。私は「お姉ちゃんに似ないでかわいいね」と心にもない事を言って喜んだのであった。実際は姉妹(ピッグ)。ふと、玄関の方を見ると「ピッグ」である。金回りの良さそうな体型の。で、実は私が「子ピッグ2」と会ったのは当然に初めてではなかった。これも後で気付くのであるが、字の読めない私が図書館で「子ピッグ2」から「のらクロ」の漫画を取り上げた事があったのだ。その瞬間私は「殺意」を感じた。数メートル先には「ピッグ」の鋭い視線が光っていた。反射的に「のらクロ」を「子ピッグ2」に返す事で事なきを得た。が、あのまま気が付かなければ蕎麦の出前中に事故を装って殺されていたかもしれない。もしくは、算数の問題を永遠に解かされていたかもしれない。もしかしたら、まあいいや。そんな「子ピッグ2」もいまではもう三十二か三なはず。鼻の下を伸ばしている場合ではないはずなんだけれどな(笑)。オヤジさんに似たのかな?何処かで幸せに生活をしていることでしょう。もし仮に、栗拾いの女の子も「子ピッグ2」であったとすると・・・・。つづく
2009年3月12日木曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
父の実家は私が住む父の祖父母の家の斜め隣で大きな栗の木があった。花は散るは葉は散るは秋には毎日掃除しなければならなかった。ちなみに、私がしていたわけではないが(他の孫はもっとしていないけれど)。確か二度ほど当時とんでもなくかわいい女の子が祖父母の知り合いの(確か)お医者さんに連れられて栗を拾いに来た。当時はかわいかったんです。二度目に来た時にお正月でもないのに羽子板と羽を持って来た。羽子板はお姫様の飾りが付いていた。当然羽子板で遊んであげればいいのだなと普通に理解した私、羽子板が一本しかないので手で羽を投げてあげた。打ち返せる程度に投げてあげているのだけれども、その子は一向に打ち返さない。何度か繰り返したが一度も打ち返さないでニコニコ笑っていた。「まだ小さいからね」とそれを見ていたその祖父母の知り合いは言っていた。そんな事は忘却も忘却、完全に忘れていた。自らの苦しく辛く悲しい道のりが私のありようを捻じ曲げてしまったのであるから致し方がないのではあるが、その小さく可愛らしかった女の子と私の人生を苦しく辛く悲しくするのに貢献した大学のゼミの後輩がピタリと重なるのではないかと疑念を抱くに至って、更に私の心の闇は深まっていくのであった。その子がその当時何を考えたのかは、大学時代に再会してから知る彼女の素性と気性を考えると容易に想像が付くが、今の彼女の某放送局におけるプレゼンスを考え伏せることにしようと思う。が、白鳥麗子もビックリである。しかし彼女でないとするとあれ「そうまの妹?」ではないよな。つづく
2009年3月11日水曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
「私は上に行くからね、もう行った方がいいしょ」なんて店の人に言ってニヤニヤしていた。私は帯広で「焼き鳥屋」に入った。以前にも何度か父と行った事がある店。店主が替わったのかなと思った記憶がある。その時は「中川一郎」の事は帯広に行けば聞けるかもしれないと思い行ったのだった。しばらく一人で飲んでいると入って来て私の横に座ったのがこの「とぼけた」オバサン(おばあさん)。焼き鳥屋なのにまっ白い服、随分お洒落だったのでホステスのボスかなと思った。私が「中川一郎先生の事知ってますか?」と聞くと「知ってるよ」と。「昭一の時代だからね」と。「ぜんりんビルに事務所あるから行ってみれば」と。そして何度か店の人に「私は上に行くからね」を繰り返していた。オバサンは「手羽先」を食べて出て行った。結局、私は何も解らなかった。が、私が店を出て見上げて見ると、その店に二階はなかった。次の日、ぜんりんビルに行っても中川先生の事務所はなかった。あったのは臨床検査センター(伊達の会社)と阿がん宗(字忘れた)と歯医者と・・・。まあ、昭一の時代でわないと言う気もないし言ってみたところでどうにもならないのでしょう。ただ、私は今も「中川一郎」が何を考え何をしたかったのかを知りたいだけである。あのオバサンが誰かの見当も、あのオバサンの言葉の意味も気が付くまでには随分時間が必要なのであった。つづく
2009年3月10日火曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
「政治家はどうだい?」記憶の中のおじさんの秘書の言葉。それ自体は大変に良い事だとは思うのだけれど、近頃大中小零細な企業経営者が自らの思考やら経験を語ったり文章にしている。月日の流れに抵抗する事に意味があるとは思わないが、もしおじさんが生きていてくれたのなら政治家になっていなくとももしかしたらベンチャー企業の社長にくらいは成れていたのかもしれないなと思う。何より彼らが羨ましいのは彼らのブログへのアクセスがやたらと多いことではあるが・・・。夢や行動が先でコネクションは後なのかもしれないが、コネクションが切れた後の人生はかなり過酷でしんどいのであろう事が容易に想像出来てしまう自分に何かこう愛しさと刹那さを感じてしまうのは自分だけなのだろうか。なぜなら、私の場合まったく自らの意思とは関係なく周囲の勝手な思惑で環境が変わってしまい、自分のありようまでも変えられたように思わずにはいられないから。「何でも人のせいにする」っと最近母は私に言った。「お前の嘘よりまだましだ」と私は心から言ってやりたい。過去に責任はないのかね彼女には・・・・。
2009年3月8日日曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
父の会社に「さとう」という人がいた。私が小学生の頃には家に来ていたし、北見や帯広で仕事をしていたのですべてを知っていたのでしょう。更に、美唄の農家の息子だし。札幌でまったく仕事受注出来ないのに、北見や帯広に行くと受注出来るんだよな。不思議だ。最後に受注してきた仕事は「鹿島」だったな。会社に入社したきっかけは父が父の弟(三枝三郎秘書)に頼まれたらしい。まあ、同じ選挙区には高橋辰夫もいたしな。父が中川社長と喧嘩別れした後も父に付いてきた。おかげで父が調子に乗り、会社つくる、家建てる、トラック買うの好き放題。今なら「誰の金だ?」と言えるんだけど。父が中川社長に強く出れた理由は「おじさんの金」があったからだろうな。私が困らないようにしてくれたお金らしいから決して少ないお金ではないのだと思う。母はかつてそう言っていた。つづく
2009年3月7日土曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
英語のタイプライターが家にあった。父が出張?の帰りに持ってきた。英語しか打てないタイプライターだったので特に意味があった訳ではない。が、何故か家に持って来た。何処から持って来たのだろう?父の勤めていた会社(大阪)からとは言っていたが本当だろうか?ちなみに、その会社の社長さんの名字も「中川」さんだ。今で言うところのベンチャー企業。政治的臭いがしない訳ではない。しかも大阪には晴嵐会会員だった中山先生もいた訳で。英語の勉強は学校以外でも英会話教室でさせてもらったにはもらったが、日本人的思考からは未だに抜け出せていないのは残念な事である。よって、私は英語を使えない。つづく
2009年3月6日金曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
劣等感、私が初めて?劣等感を感じたのは高校生になってからでした。もちろん、中学生の頃も部活動をしている奴らに多少なりとも感じてはいた。奴ら女子にモテルからね。しかし、恐らくそれ程「格差」の自覚はまだなかった。高校生になり、英語の本がまったく読めない事に気づいた。中学の頃は教科書を丸暗記した。だから、英語が思考で言語でコミュニケーションの道具でとか全然考えた事もなかった。要するに、興味もなければ好きでもなかったのかもしれない。丸暗記出来ない教科書に圧倒されて細かく分析して単語覚えてとは考えられなかったとのだと思う。だって、勉強する習慣がなかったから。中学生の頃、塾には週三回通ってはいたが、両親の意向により強制的に帰宅部だったのでテスト勉強は何時でも出来た。毎日こつこつ勉強するような事はなかった。英語も他の教科同様それほど暗記力が必要ない事に気が付くのは浪人二年に勉強の仕方から自分で考えだしてからのことであった。つづく
2009年3月4日水曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
殺す時はズッパリといって欲しいものである。小学校二年生の時、隣の「しゅん」ちゃんが「あすなろ」まだ二中公園に山があった頃、毎週土曜日に大学生が「みゆき会」を開催して子供達を集めて遊んでいた。決して「子供会」ではない「みゆき会」。なぜなら、この会の求心力は「みゆき」であったから。私も「みゆき」が来ていない日に「みゆき」が来ない事を確認して帰ろうとした事がある。「お前失礼だな」とセツラー(大学生)に説得され思い留まった。この「みゆき」なる女性は以前出てきた「マミコ」の姉?(恐らくは従姉妹)である。彼女との最初の出会いは高校生であったであろう彼女が友達のいない子供の会?にあの「マミコ」を連れて来た時まで遡る。向かうところ敵なし時代の私が何故友達のいない子供の会?への出席を強要されたかは定かではないが、とにかくその会であの「マミコ」に「マミコ楽しい」と満足を与えてしまった事がこの「あすなろ」へと続いたのかもしれない。私の記憶では当時の「みゆき」は周囲を圧倒する美貌?と雰囲気を醸し出し、今のどんなスペシャルメイクも当時の「みゆき」を凌駕することはない、かな。しかし「あすなろ」で「みゆき」と再開した時にはすでに「マミコ」の記憶は私にはなく「みゆき」が大学四年生ではじめた某公共放送での活動も私にとっては興味がなく「みゆき」が大晦日の紅白歌合戦の司会をした頃には「みゆき」の記憶も頭に残っていなかった。人に聞かれて思い出す程度であった。しかも私にとっては「森田美由紀」では解らず「あすなろのみゆき」と言われてやっと思いだすほど遠い存在となっていくのであった。つづく
2009年3月3日火曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
父の父は道庁で働いていた。OBとなってからも「赤レンガ」の地下にある部屋に出勤していたらしい。何をしていたかはよく知らないが、道庁内で酒盛りをしているOBが共産党につるし上げられた事があったはず。恐らくはメンバーに名を連ねていたことであろう。そんな父の父は私を連れてタバコを買いに行ったり風呂に連れて行ったりしてくれた。自分の都合で。誰も一緒に行きたがらないし、一人で行くと危ない(よく転んだり倒れたりしていたらしい)から。ある日、先日火事で焼けて立て替えたらしい「いっしんどう」という雑貨やに私を連れて行った「わしはこいつに期待しているんだ」と持ち上げてくれた事を懐かしく思う。何故「火事で立て替えたらしい」かと言うと、父いわく「舗装用のバーナーで火がついた」と言っていた。が、舗装工事で火事なんて聞いた事あります?私は今でも信用していない。取り合えず「いしんどう(一心堂かな?)」が新しくなってしまったことは確かなことである。つづく
2009年3月1日日曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
「ちょっとこんなに可愛いのに・・・・」母にとある女優さんが投げかけた言葉。何故か私は泉ピン子のファンでした。昔から面白いことが一番だった。天才の基準もどれだけ面白いか、自分より面白い奴は「天才」だった。何故か会った事あるんだよな。「おしん」の前だった思うけど後かな?最近思うのだけれど、おしんの「大根飯」って私がよく食べていた「猫飯」と似てないか?しかも「中川材木店」。広尾町に行った時聞いた話しでは豊似に火事で焼けた製材工場があったらしい。大家族の番組で子供達が「お茶づけの素」だけでご飯を食べているのを見て「こりゃあ酷いな」と思ったのだけれど、思い返すと私も「お茶づけの素」だけでごはん食べてたんだよな。「おしん」と泉ピン子と私の意外なつがりを感じるのであった・・・。つづく
2009年2月28日土曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
私は前回の統一地方選挙の札幌市北区の市議会議員選挙に立候補した。新聞記者に「私は立候補する事に意味がある」と言った。もし、一度でも私のブログを読んでくれていれば十分に彼らにも理解できるであろうと思うが・・・・。得票が1619票らしいから(新聞報道)それだけでも何か思うところがありそうなものだけれど。今はメガネはかけていないようですが、当時まだ彼女が現役のスケート選手の頃一度お会いしたことがある。そうまだ私にとって「ブスなメガネのおねえちゃん」だった。個人の名誉のために、私にとっての「ブス」は女性を意味する枕詞であった。会う人会う人女性なら「ブス」。そんなスーパースターなメガネのおねえちゃんは、沢山のファンを引き連れて私に近づいて来て「かわいい子ですね」と母に声を掛け通り過ぎて行った。当然のようにまだ幼い私は沢山の彼女のファンを私のファンだと勘違いした。なんでこの人達は私の前を只通り過ぎて行くのだろうかと思ったのでした。私は母に「あの人誰?有名な人」と聞いたのであった。本当に知らなかった。孤軍奮闘一人で勝手に選挙運動していた私、ある場所で拡声器で演説していた時一台のスズキの特別小さな軽自動車が通り掛かった。助手席には今や参議院議員となった元メガネのおねえちゃん。もしかしたら憶えていてくれたのかもしれない。残念な事は、私が幼き日の特別な思い出をまったく記憶していなかった事。ただ「あ、橋本聖子だ、何で?冷やかしか」とその時は感じるだけであった。つづく
2009年2月27日金曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
石原さんだけではなかった。高橋さんや石坂さんや・・・・。会った芸能人、スポーツ選手は両手で余るかもしれない。小学生の頃、政治家もおじさんの後ろにぞろぞろ付いて来た事あったな。私は「ヤクザ」と間違えた。芸能人やスポーツ選手に会ったのは小学校上がる前。初めておじさんと地下鉄の中であってから。まだ、三歳になっていなかった。燃える男に「エースは小松じゃないの?」と言ってみたり、安打製造機には「巨人のピッチャー何時も打たれるから嫌いだ」と言ってみたり。何故か会えたんだよな・・・。ちなみに、今会いたいのは「長澤まさみ」さんとか「宮崎あおい」さんとか「本仮屋ユイカ」さんとか「井上真央」とか「ソフトバンクの携帯の子」とか・・・・、会えないな何故だろう。環境の変化か?石原さんに次いで熱心に通ってくれたのは高橋さんだった。記憶は定かでないが小学生の頃、赤いフード付きのオーバーを着た女の子を雪祭りに連れて来た。あれはモジモジガールでしょう。Wikiによると裕次郎さんが秀樹さんをかわいがっていたらしいのでそのつながりであろうか?それとも、中川~高橋つながりであろうか?はたまた、豊田~高橋つながりであろうか?事の真相はよみがえった私の記憶を世間に紹介することでしか解らないのかもしれない。つづく
2009年2月25日水曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
何故「マミコ」が「カラス」か。理由は黒くてうるさいからだったのだけれども、それには更に理由があった。それはその前日かその前の日かとにかく私がマミコを「カラス」だと命名する前にとあるオバサン、非常に有名で美人で恐妻で映画出ててなオバサンにデパートの遊び場だったかどっか外であって、無理やり歌を教えられた。その歌が「カラス何故鳴くの・・・」だった。生まれつき音程が個性的な私。オバサンも呆れてしまうほど下手だったのだと思う。そのオバサンとはそれまでも何度か会っていて、なんだかこう優しいのだけれどどちらかと言うと私に会いに来たと言うよりも「連れに来た」のだった。私としてはその理由が解らず、歌を教えられる理由も解らず会うたびに窮屈に感じ、思い返すと徐々にオバサンを嫌いになっていったのだと思う。そんな訳でオバサンとの別れは完全な喧嘩別れになってしまった。そしてオバサンもまた私の記憶から消えていったのだった。今思うと、非常にある意味残念である。人間というのは実に弱いものだ。まったく違う別の想像を絶するようなデズィズニーランドのような人生も、もしかするとあったのかもしれないと思わずにはいられない今が悲しい。と言う事で「マミコ」は「カラス」になったのであったように思うが・・・・。もしあの時おばさんに付いて行ったとしても、私のデビュー曲は「スニカーブルース」ではなかったであろう。つづく
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
「マミコ」なる人物が私が六歳になるまで住んだ伏古団地に遊びに来ていた。私は自称「猿」彼女は私が「カラス」と名づけていた。理由は黒くてうるさい。彼女は毎日私が威張るのが余程御気に召さなかったらしい。次から次へと僕(しもべ)を連れてきては自らの存在を私よりも優位にしようと試みていた。その試みは尽く失敗するのだけれども、その僕には某自動車会社の現役社長であらせられた「お爺ちゃま」。そしてその運転手だった「早稲田卒君(現某自動織機社長兼麻雀博士)」。その他には、あの消えた唯一の都銀行員マミコパパ、その同僚の子ロプロス久仁子、私を亀呼ばわりしたポセイドン天然パーマ、狂犬ロデム猛。しかし残念ながら彼女の試みは、バビル二世が「マミコ」でなく私であった事を私自信に確認させるのみであった。しばらくしてそんな彼女はお父さんの転勤で大阪に行ってしまった。マミコママが最後に冷たく「忘れないでね」と言っていたが、私の記憶に「マミコ」はしばらく登場しなかった。マミコの姉と称する「ミユキ」が私の前に現れ続けた時にも・・・。つづく
2009年2月23日月曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
断って置きたい。工場の寮は狭くゴキブリが走りまわるけれども、決してその待遇や仕事に問題があった訳ではない。人間関係には大いに問題があったけれども・・・。職業に貴賎なし、悲しいかな人間には貴賎があってしまうのが現実。それは何処にいても同じであった。こと「金」に関すれば工場は父に雇用されているよりもかなり良かった(笑)。ただ、行った工場が豊田様だったのが良かったのか悪かったのか。よみがえる記憶の中にその会社の社長とその父親も含まれる事は私の歴史が如何に特別なものだったかを象徴すると言えるのかもしれない。つづく
2009年2月22日日曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
私が「特別な過去」に思いを至らせるまでにも、悲しい事や苦しい事は十分にあった。今振り返ってみても何故、そこだったんだろうとさえ思う。ただ、それまでとそこ(「特別な過去」にたどり着いた)では何か違い、自分の中に「変化」があった。それまではすべての原因を外(自分以外)に探していた。そこでは自分の中に探し出した。何故か?。何かこう訳の解らない「自信」を持ち出せたからかもしれない。その理由も悲しいかな思い当たる。私にはある「拘り」があった。今、まったくその「拘り」が消え去ったかと言うとそうでもないが、薄くなり形が変わってしまったのかもしれない。それはそれでまた、悲しい事ではあるけれども・・・・。とにかく、私は自分の中に自分のこれまでとこの工場の狭い寮にいなければならない自分の原因を自分の中に探しはじめたのであった。つづく
2009年2月21日土曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
盗聴、尾行、写真の捏造、嘘、私の記憶と違う自分がこの世に存在している。今ここにいる自分に対する評判批判そんなものはどうだっていい。が、過去を変えられるのは死ぬより辛い。自分が誰で何処に向かうべきなのか何も知らされない。知らされないだけでなく「嘘」を信じさせられて来たような気がする。気がするというよりも積極的に理屈が私にそう思わせる。すべてが「変」であったと思う。子供の頃私の周りにいた人間達が消えようが消えまいが記憶に残ろうが残るまいが真実は一つである。真実は人の数だけあると言うのは普通の話。私が言うところの真実は私の只の記憶ではなく、また誰かに教えられた情報でもない。それは私が実際に経験した真実なのだけれども、残念ながら長い間記憶には残っていなかった事たちである。つづく
2009年2月20日金曜日
酒と涙と男と女(アナザーストーリー)
タイムリーなタイトルで話を始めようか(笑)と思ったが、「破字」って知ってます?私は「チャングムノ誓い」を読んで知った。東京で新聞配達していた時に仕事を教えてくれた恐怖の「面白おじさん」がやたらと読め読め言っていたので、愛知県の某工場で働いている時に読んだ。私の名前は谷口信司。名字の「谷口」はどうにもならないような名字なんだけれど、名前の「信司」を「破字」で読むとブログ名の「人が言を司」である事に気が付いた。一応親からは、父親の「信」と母親の好きな「司」をふっ付けたと聞いてはいたが、本当なのか?と思うに至る。「言を司」人ってどのような人かなと狭い工場の寮で考えてみた。政治家、弁護士、マスコミ、ライター・・・・。そこから、自分を振り返る苦しく長い旅が始まった。私の記憶の中に、これらの職業との接点があることに気づいた。それは「政治家」と「マスコミ」。政治家は何を隠そうあの泥酔?大臣中川昭一の父で当に「酒と涙と男と女」な中川一郎その人、そして他多数。他多数の中には「犬公方」の疑いが持たれる町村信孝元官房長官のお父上であるところの故町村金五先生までもが含まれる。マスコミはあのモジモジ専門アナウンサー高橋真麻、NHK一のビックネーム森田美由紀、ローカルでしかないが「函館の雄」佐藤麻美、そして他多数。ある時期を境にみんな私の周りから去っていった人達ではあるが・・・・。つづく
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